不登校の人の決定的弱点 人間関係構築スキル不足と人間不信
この記事では不登校の人とコミュニケーションに関する僕の体験談を掲載しています
不登校といっても、十人十色の原因があるでしょうね。
同じ不登校仲間を見ても、神経症が原因だとか、親同士が仲が悪いから心を閉ざしたとか、精神的虐待のせいとか、いじめとか、担任の先生によってとか、人間不信とか、たくさんありました。
僕の場合は、人間不信という奴ですが、そもそもコミュニケーション能力(人間関係スキル)が圧倒的に劣っていたから、という理由が一番しっくりきます。
集団生活たる学校で、まったくコミュニケーションがうまくいかないで、人間関係を作れなかったから、完全に浮いた存在になり、担任も僕をもてあましていました。
よく言えば個性のある人間でもありますが。
でもその個性すら押しつぶしていたら、心が病んじゃいます。
少数の友達はいましたが、親しいというよりは、ただつきあっていたというだけだったし、その他大勢のクラスメートからは、あからさまじゃないにしても、仲間はずれにされていました。
小学生の時からです。
浮いた人間でした。
人間関係を作ることがとても苦手で、そのせいで人間不信も酷くなり、もっと人間関係が悪くなっていきました。
不登校になるのも当たり前だったんですね。
人間関係を作ることがとても苦手で、そのせいで人間不信も酷くなり、もっと人間関係が悪くなっていきました。
不登校になるのも当たり前だったんですね。
物心ついたときは、活発だったそうですが、集団生活になじめず、どんどん人間不信だけがひどくなっていきました。
とまどいがとまどいを生み、生きづらくなっていったのですね。
家の外という厳しい環境に耐えられるだけの強さや思考の柔軟性がないまま、学校に行ってしまったんです。
そもそも父親も母親も人に構えて生きてきたこともあって、そういう雰囲気のなかで育ってしまったので、開けっぴろげな性格になれということ自体無理でしょう。
それが僕の世界でしたから。
不登校になる原因、そもそも人間関係を作るのが苦手だったり、人間不信が増していく状態というものは、家庭環境にもあります。
不登校になる原因、そもそも人間関係を作るのが苦手だったり、人間不信が増していく状態というものは、家庭環境にもあります。
親の性格はすっごく影響を与えます。
(不登校を克服し、完全に立ち直って、今親になった僕はそのことをつくづく感じます)
開放感のない家庭環境で育ってしまうと、どう人間関係を作っていいのかわからなくなります。
だから、なんでみんな仲良くやれるのか、さっぱりわかりませんでした。
開放感のない家庭環境で育ってしまうと、どう人間関係を作っていいのかわからなくなります。
だから、なんでみんな仲良くやれるのか、さっぱりわかりませんでした。
楽しそうに話したり、円滑なコミュニケーションができる人を見ては、別の人種だと思ってました。
コミュニケーションをとれるスキルも経験も、無に等しかったです。
こんな僕でも人間不信から脱することができ、人間関係を作る能力がだんだん身に付くようになったのは、高校3年の夏でした。
こんな僕でも人間不信から脱することができ、人間関係を作る能力がだんだん身に付くようになったのは、高校3年の夏でした。
学校に通ってない不登校野郎だったんで、17歳のときといったほうがいいですね。
立派なヒッキーでした。
ひきこもるとコミュニケーションがもっとできなくなり、同じ境遇の子と少しでも繋がっていたほうが絶対にいいと思います。
僕が不登校になりつつもコミュニケーションをとることに自信をつかみとることができた出来事もこのブログで書いています。
以下のブログ記事もご覧ください
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僕にとって、本当に大きな人生を変えられた出来事があり、僕に足りなかったコミュニケーション能力を身につけることができるきっかけがありました。
だからいくらでも挽回はききます。
今では僕は人間関係に対して気後れはないし、人間不信も不登校の頃の僕にとっては考えられないほどなくなっています。
今では僕は人間関係に対して気後れはないし、人間不信も不登校の頃の僕にとっては考えられないほどなくなっています。
ここから挽回しないと、あっという間に30代、40代と年だけを重ねちゃう。
人生は若い頃は感じなくても、すっごく早いです!
ということは、変われるチャンスなんてそんなにないんだということです。
自分を変えることは不安とか恐怖を伴いますが、いくらでも巻き返すことができることは確かです!
人生は若い頃は感じなくても、すっごく早いです!
ということは、変われるチャンスなんてそんなにないんだということです。
自分を変えることは不安とか恐怖を伴いますが、いくらでも巻き返すことができることは確かです!
もし人間関係を作る能力やコミュニケーションができない僕だったら、ずっと人間不信と、人間関係をまともに作れないまま、いじけて今に至っていたでしょう。
ずっと劣等感に苦しみ、承認欲求も満たせずに、生き地獄だったでしょう。
ずっと劣等感に苦しみ、承認欲求も満たせずに、生き地獄だったでしょう。
人間がいるかぎり、コミュニケーションをとらなければいけない。
学校でも社会に出ても、日常生活でも人間関係はついて回りますし、現実逃避しては生きてはいけません。
学校でも社会に出ても、日常生活でも人間関係はついて回りますし、現実逃避しては生きてはいけません。
人間関係スキルがないと、人間不信のまま地獄で生きているのと同じかも知れません。
僕の半生がそうだったし、今もたくさんの人が地獄でしょう。
だいたいコミュニケーション能力がある人が、ひきこもりになりようがないですからね。
人間がいるから関係をうまく作って生きなければいけない。
なのに、人間不信で生きていたら苦しいことばかりです。
僕は青春の真っ只中は、そんな人生でした。
今は誰も僕が不登校だったとか人間不信の塊だったとは思いもよらないと思います。
それぐらい僕は自分でも成長できたなと思います。
今は誰も僕が不登校だったとか人間不信の塊だったとは思いもよらないと思います。
それぐらい僕は自分でも成長できたなと思います。
不登校になり引きこもっていて、孤独になれていたつもりでも、悩んでいる時は孤独が楽しいわけはないです。
人間関係に苦しめられるより孤独に生きた方がマシといっただけです。
孤独にも押しつぶされるし、人間関係でも苦しむし、どちらに行っても地獄です。
それならば、やっぱり自分が成長するしかないと僕は思います!!
孤独にも押しつぶされるし、人間関係でも苦しむし、どちらに行っても地獄です。
それならば、やっぱり自分が成長するしかないと僕は思います!!
そう、この世はすべてコミュニケーション!!!
不登校だから、引きこもりだから、コミュニケーション能力がないからといって、その能力をおろそかにはしないでください。
と、その能力ゼロだった男がこんなことを言うんだから、あたってます。
自信がありますよ
コミュニケーションをとるということは、相手がいるということですよね
だから、相手(人間)ってどんなものかよく知らなければいけないと思います
そういうことを身につけていったのが、不登校と神経症を克服させてくれた岩波先生のもとに通ったからです。
もともと不登校脱出、生きにくい自分を変えるために通っていたんですが、結局そこだ!と思い知りまして、人間関係をどうやってうまく作っていくか興味が移りました。
そのスキルがついていったとき、不登校からも抜け出せましたし、大学に遠回りながらも通うことが出来ました。
それに社会でばりばり働くことが出来たわけです。
今では結婚して子供もいますし、友達もたくさんいます。
人間不信もなくなり、孤独じゃありません。
いつでも人間関係を作ることができるっていう自信があるからですね。
一も二もコミュニケーション能力、三四もコミュニケーション能力。
それに尽きると思います。
不登校や引きこもりになった人で一番やばいと思うことは、人間不信が極まり、人間関係スキルが皆無になることです。
それじゃ社会に出ても辛いだけです!!
不登校や引きこもりになった人で一番やばいと思うことは、人間不信が極まり、人間関係スキルが皆無になることです。
それじゃ社会に出ても辛いだけです!!
僕が不登校になったのも、苦しんだのも、落ち込んだのもすべて、人間関係構築スキル不足でしたし、立ち直れたのも、それへの自信ですね。
営業職でバリバリ働くことが出来ているのもそうです。
だからこの世はすべてコミュニケーション能力! というわけです。
そして、その能力が皆無でも必ず身につくことができるし、自信もつきます。
僕ができたことですから。
大丈夫、必ずやれますよ!!
【追記】
コミュニケーション能力は不登校になっても向上させていくべきものです。
不登校になったらひきこもって、家族以外とは話さなくなります。
コミュニケーション能力は人と話すことで、相手の心理もわかったり、相手の喜ぶことがわかるので、コミュニケーションを取れば取るほど上達します。
だから、不登校になってもいい、ひきこもってもいい、でも誰かと必ずコミュニケーションを取ってください。
同じ境遇の人(できれば、不登校をしているけれど夢を持っている人)とどんどん話してください。
自分の殻に閉じこもらないことです。
不登校になるのは、その環境が合わなかっただけです。
そこにいる人間と反りが合わないなんていくらでもあるので、自分を否定しないでください!
別の環境にいけば、きっと自分を出せるいい人間関係ができます。
当然良いコミュニケーションを取れます。
狭い世界だけで判断して、自分の可能性を制限しないでください。
常にいつでもコミュニケーション能力だけを磨こうとしてください。
たくさんその手の本を読む、コミュニケーション能力に長けている人のエッセンスを盗むなどして研究してください。
不登校でもいつかやっぱり人と関わらなくちゃいけないです。
今は休んで結構。不登校を僕は否定しません。じゃんじゃん休みましょう!
でも、牙だけは磨いておきましょうね。
とても参考になるコミュニケーション能力に関する文章があります。
ぜひ読んでみてください。
当ブログ記事まとめある日、不登校の時代についての話をしていたとき、社会人になってからできた友人から「君のような人が人間不信で学校に行けないなんて信じられない」と言われました。
「人間関係が苦手だったなんて全く感じない」とも言われました。
でも、それは今の僕。
不登校の頃の僕は、これまでブログに書いてきたように完全に別の存在だったんです。
人間関係のスキルが皆無で、人とのコミュニケーションを怖がっていました。
どんなに努力しても、人々の間には入ることができず、いつも1歩、いや7歩ぐらい遅れていたんです。
「人間関係が苦手だったなんて全く感じない」とも言われました。
でも、それは今の僕。
不登校の頃の僕は、これまでブログに書いてきたように完全に別の存在だったんです。
人間関係のスキルが皆無で、人とのコミュニケーションを怖がっていました。
どんなに努力しても、人々の間には入ることができず、いつも1歩、いや7歩ぐらい遅れていたんです。
「なぜ他の人たちは自然に会話できるのに、僕だけができないのだろう?」という疑問とともに、人間不信が日々深まっていきました。
そして、その不安と疑念が不登校への一因となったんです。
人との距離を感じることが苦痛で、学校の門をくぐることさえ恐怖でした。
お腹は痛くなるし、頭は重くなるし、異常に眠気に襲われるし。
そして、その不安と疑念が不登校への一因となったんです。
人との距離を感じることが苦痛で、学校の門をくぐることさえ恐怖でした。
お腹は痛くなるし、頭は重くなるし、異常に眠気に襲われるし。
しかし、岩波先生の下で学んだこと、それは「人間関係のスキル不足は、必ず補える」「苦手意識も払拭できる」ことでした。
先生のアドバイスと実践を通して、少しずつですが、人とのコミュニケーションの取り方や相手を理解する方法を学んでいきました。
そして、そのスキルを身につけることで、不登校から脱却し、社会にしっかりと足を踏み入れることができたんですね。
先生のアドバイスと実践を通して、少しずつですが、人とのコミュニケーションの取り方や相手を理解する方法を学んでいきました。
そして、そのスキルを身につけることで、不登校から脱却し、社会にしっかりと足を踏み入れることができたんですね。
人間不信や不登校というのは、単なる「怠け」や「反抗」じゃないです(不登校児の親はよく知っておいてください)。
背景には、人間関係のスキル不足やコミュニケーションの不安、人間不信が潜んでいます。
それを理解し、正しい方法で対応することで、必ず立ち直ることができます!
背景には、人間関係のスキル不足やコミュニケーションの不安、人間不信が潜んでいます。
それを理解し、正しい方法で対応することで、必ず立ち直ることができます!
今の僕が言えることは、不登校や人間不信を乗り越えた結果得たスキル、それは人生を豊かにする宝物です。
あなたも、そのスキルを身につけることができる!
だから、諦めずに、一歩ずつ前進してください。
大丈夫です。立ち直れた人間がたしかにここにいますから!
あなたも、そのスキルを身につけることができる!
だから、諦めずに、一歩ずつ前進してください。
大丈夫です。立ち直れた人間がたしかにここにいますから!