はじめてのブログです。
ねこすけといいます。
言葉づかいは幼いと言われますが、社会人2年目です。
営業職で、アスファルトジャングル大東京を駆け回ってます。
とってもやりがいを感じる仕事で、世のお父さん方が仕事にやりがい、生きがいを感じないと嘆いているのに比べれば、幸せといえるでしょうね。
今はすっかり板に付いてきました。
そんな僕でも、実は不登校でした。中学の最後の方と、高校の最初以外全部、不登校でした。ついでにひきこもり状態になってしまい、すっかり外に出たり、社会に出ることが怖くなってしまいました。
今社会人でばりばりやれていると言うことは、つまり立ち直ったということです。
立ち直らせてくれたともいえますし、そんなこんなでとってもラッキーでした。
フリースクール通いから、スクールカウンセラーにお世話になったり、精神科の医者にも治療に行きました。
でも、どれも駄目で、絶望して、ひきこもり度が強くなり、どうしようもなかったときに、ちょうど親がDream Art Laboratoryの岩波某先生のところに通わせてくれて、立ち直れました。
立ち直ったというより、とてつもなく強くしてもらいました。
トータルで考えれば、運がよい人生だと思います。
人生は結果がすべてだと思います。
過程なんかどうでもいいんです!
結果はどん底の精神状態から立ち直れたんですから。
傷つくことはへっちゃらになりました。
へっちゃらということより、強くなれたので、一時的に落ち込んだとしても、乗り越えられる精神力はついたと思います。
人間関係も良くなりましたし、コミュニケーション能力は特に上達できました。
それに今は営業職で飛び回っているので、いい経験がどんどん身に付いているという感じです。
なんでコミュニケーションが苦手で、それが大きな原因で不登校児になった男が、立ち直れたかなど、ブログに書いていきたいと思っています。
ますは挨拶と紹介をかねて。
ねこすけ
僕がいやいやながら、中学3年の途中まで学校に通っていました。
ちなみに千○県の私立中学に通っていました。
小学生の時にすでに浮いていた僕が、中学でも難しいのは目に見えていました。
学校が楽しいと思ったことなんか、中学の時は一度たりとてなかった。
でも、苦しい思いをしながら頑張れていたのも、いい大学に通って、いい会社に就職する、できれば安定した公務員がいいという、つまらない親のいいなりになっていたからです。
そりゃ、中卒や高卒よりも、大卒で、しかもいいところを出た方がいいのは僕もわかっていました。
一応は成績が良く、コミュニケーション能力と人間関係構築能力が普通にあったなら、まあとんとんのところにはいけたと思いますが、肝心の人間関係がダメダメでした。
学校がきついところだったから、あと6年この学校に通わなければ駄目なんだと泣きたくなりました。
朝起きるのがつらくてつらくて、心が折れてしまうのを必死で根性でこらえていました。
それがもうダメダメになったのが、中学3年というわけです。
精神論はけっこうだけど、根性だけでは人間は長続きしません。
根性が必要なのは瞬発的、短期的なときです。
根性論は僕は否定しませんが、負荷が精神にかかるエネルギーはすぐ息切れを起こしちゃいます。
はじめて学校に行かないと決心したときの、うれしさ、ホッとした気持ちは、天国のようでした。
自分の将来なんか考えなかったし、つらい日々からの解放がうれしかった。
現実から目を背けていたとも言えるけど、まだまだ若いし時間があるし、嫌で溜まらない学校から解放される喜びはちょっと言い表せないです!
でも、親にしてみれば驚天動地、驚愕の事実です。
親はまさか自分の子供が不登校になるなんて思わなかっただろうし、まさに天地がひっくり返ったような騒ぎよう、あわてっぷりでした。
早くその嵐が収まって欲しいと願いつつ、でも決心だけは非常に固かった。
こうと決めたら、頑固な僕はてこでも動かなかった。
結局、僕の根気が親に勝った。
こんな所で頑なな根性を見せても何の生産性もなかったんだけど(笑)
ちょうど不登校の問題が深刻化していたときだったから、親もフリースクールに通うならばいい、高校はちゃんと通いなさいということで、一件落着した。
中学に通う苦しさと惨めさを考えたら、親の小言なんてへっちゃらだった。
いくらでも巻き返しが聞くと、まだ15歳にもならない僕は楽観的に考えていたけれど、そんな甘い世の中じゃないとわかったのは、そう遠くない未来だった。
ひきこもりの問題で高齢化が叫ばれているけれど、まなぶ場がないまま大人になるとますます社会の壁は高くなってしまいます。
社会人の僕はそれを感じます。
人間は堕落したらどこまでも堕落しちゃう。
きついことを避け続けたら、もう障害に立ち向かう気力も勇気もなくなってしまう。
でも、当時の心が傷ついていた僕にそんなお説教はつうじないことは、よくわかっている。
ほんとうにきついのだから。
悪魔と手を結んでも、学校に通いたくなかった。
登校しろとは僕を滅ぼすつもりかー! そんな気持だった
でもそれじゃぁ、未来は手に入れられないんだけど。
どこかで立ち向かう時を覚悟しなくちゃいけない。
そのきっかけがあったから良かったけれど、それがなかったら今ごろ僕はどうなっていたのだろう?
次は不登校になってからの話を書きたいと思います
中学校に通わなくていいというだけで、有頂天だった。
すっごく楽(!)で、ホッとしていて、心が晴れ晴れしていた。
その先に来る自分の内面の苦しみなんか全く頭にうかばなかった。
将来についても、まあ何とかなるさ。
いちいちうるさいんだよ、僕はこれが良いんだ
絶対てこでも動かないぞ!
こんな気持だった
15歳や16歳の人間が真剣に未来、将来、夢について向き合うことなんかなかなかないですよね。
僕は特に苦しい重いから逃れたいから不登校を選んだんであって、人生からドロップアウトしたつもりもなかった。
けれども、どんどん外に出るのがおっくうになっていった。
僕の経験では、人間は常に逃避し続けるとますますあらゆることが怖くなります。
不登校の子供を受け入れるフリースクールはとりあえず通っていたけれど、買い物とか何か見にいく、イベントに参加するなんていったことは、心が動かなかった。
やっぱり、自分は自分の心に十字架を背負わせていたということか。
中学校すら満足に通えない後ろめたさ、なにか楽をしているというばつの悪さ、親に申し訳ないということ、同世代の奴らが友人や恋人をたくさん作ってエンジョイしていることを思い浮かべたり、駅前で学生が楽しそうにわいわいがやがややっているのを眼にすることも、非常に気分が悪くなった。
劣等感!! コンプレックス!! 苛立ち!!
それが僕の心のすべてを表現していると思う。
スポーツも勉強に関しても、劣等感を感じる必要はなかったけれど、人間関係というやつだけは、僕は全くのネンネエで、自分でも歯がゆい思いをしていた。
みんなと楽しくやりたいくせに、どうしてもできないから、劣等感は真冬の北海道の降雪のようにどんどんつもっていった。
僕に春なんか来ない。
最初のノビノビとした心に次第に影が忍び寄ってきた。
そんな憂鬱な観念にとらわれるようになり、外に出ることがすっかり怖くなってしまったのだ。
プチ鬱ってやつ
同世代の人間と会うのが特にいやだったし、劣等感故に、女性恐怖症にもかかってしまった。
男子校だったのが災いして、ますます異性と接することから遠ざかった上に、いまはフリースクール通いという体たらく。
何をしているんだ? なんで生きているんだろうか?
みんな楽しそうだ。ちゃんと学校も通っているし、少なくとも社会生活を送っている。
たくさん色々な経験をして、たくましくなっていくんだろうな。
夢もできて、彼女もできて、思春期で経験するあらゆることをむさぼり尽くすように楽しんでいくんだろうな。
心が重く、苦しくなって、頭も物理的にいつも緊張して痛くなってしまった。
精神的なものと頭の重さ、痛さのダブルパンチで、すっかり元気がなくなってしまった僕は、形式的に高校に上がることだけをして、鬱屈した青春を過ごさなければならなかった。
鬱屈した人間の考えることは、鬱屈した考えしかない、と誰かが書いていた。
まさしくその通り。
だからといって、もとのとおり中学校や高校にちゃんと通えば、全部元に戻るかというと、それの方が地獄だった。
逃げ場がないことに気づいた。
親や不登校を端から見ている人は、逃げ場があるから不登校になっていると言うけれど(つまり甘え、ずぼら)、実はそうじゃないと気づいていくものだった。
不登校になっても楽な生活は続かず、心が追いついてこなかった。
でも、登校してもきつすぎる。
どこにも逃げ場なんて無かった。
自分が強くなってたくましくなっていくしか道はなかった・・・・
僕ねこすけの人生のルーツでした
ねこすけといいます。
言葉づかいは幼いと言われますが、社会人2年目です。
営業職で、アスファルトジャングル大東京を駆け回ってます。
とってもやりがいを感じる仕事で、世のお父さん方が仕事にやりがい、生きがいを感じないと嘆いているのに比べれば、幸せといえるでしょうね。
今はすっかり板に付いてきました。
そんな僕でも、実は不登校でした。中学の最後の方と、高校の最初以外全部、不登校でした。ついでにひきこもり状態になってしまい、すっかり外に出たり、社会に出ることが怖くなってしまいました。
今社会人でばりばりやれていると言うことは、つまり立ち直ったということです。
立ち直らせてくれたともいえますし、そんなこんなでとってもラッキーでした。
フリースクール通いから、スクールカウンセラーにお世話になったり、精神科の医者にも治療に行きました。
でも、どれも駄目で、絶望して、ひきこもり度が強くなり、どうしようもなかったときに、ちょうど親がDream Art Laboratoryの岩波某先生のところに通わせてくれて、立ち直れました。
立ち直ったというより、とてつもなく強くしてもらいました。
トータルで考えれば、運がよい人生だと思います。
人生は結果がすべてだと思います。
過程なんかどうでもいいんです!
結果はどん底の精神状態から立ち直れたんですから。
傷つくことはへっちゃらになりました。
へっちゃらということより、強くなれたので、一時的に落ち込んだとしても、乗り越えられる精神力はついたと思います。
人間関係も良くなりましたし、コミュニケーション能力は特に上達できました。
それに今は営業職で飛び回っているので、いい経験がどんどん身に付いているという感じです。
なんでコミュニケーションが苦手で、それが大きな原因で不登校児になった男が、立ち直れたかなど、ブログに書いていきたいと思っています。
ますは挨拶と紹介をかねて。
ねこすけ
中学3年、僕は不登校に 不登校克服までの道のり(中学生~)
僕がいやいやながら、中学3年の途中まで学校に通っていました。
ちなみに千○県の私立中学に通っていました。
小学生の時にすでに浮いていた僕が、中学でも難しいのは目に見えていました。
学校が楽しいと思ったことなんか、中学の時は一度たりとてなかった。
でも、苦しい思いをしながら頑張れていたのも、いい大学に通って、いい会社に就職する、できれば安定した公務員がいいという、つまらない親のいいなりになっていたからです。
そりゃ、中卒や高卒よりも、大卒で、しかもいいところを出た方がいいのは僕もわかっていました。
一応は成績が良く、コミュニケーション能力と人間関係構築能力が普通にあったなら、まあとんとんのところにはいけたと思いますが、肝心の人間関係がダメダメでした。
学校がきついところだったから、あと6年この学校に通わなければ駄目なんだと泣きたくなりました。
朝起きるのがつらくてつらくて、心が折れてしまうのを必死で根性でこらえていました。
それがもうダメダメになったのが、中学3年というわけです。
精神論はけっこうだけど、根性だけでは人間は長続きしません。
根性が必要なのは瞬発的、短期的なときです。
根性論は僕は否定しませんが、負荷が精神にかかるエネルギーはすぐ息切れを起こしちゃいます。
はじめて学校に行かないと決心したときの、うれしさ、ホッとした気持ちは、天国のようでした。
自分の将来なんか考えなかったし、つらい日々からの解放がうれしかった。
現実から目を背けていたとも言えるけど、まだまだ若いし時間があるし、嫌で溜まらない学校から解放される喜びはちょっと言い表せないです!
でも、親にしてみれば驚天動地、驚愕の事実です。
親はまさか自分の子供が不登校になるなんて思わなかっただろうし、まさに天地がひっくり返ったような騒ぎよう、あわてっぷりでした。
早くその嵐が収まって欲しいと願いつつ、でも決心だけは非常に固かった。
こうと決めたら、頑固な僕はてこでも動かなかった。
結局、僕の根気が親に勝った。
こんな所で頑なな根性を見せても何の生産性もなかったんだけど(笑)
ちょうど不登校の問題が深刻化していたときだったから、親もフリースクールに通うならばいい、高校はちゃんと通いなさいということで、一件落着した。
中学に通う苦しさと惨めさを考えたら、親の小言なんてへっちゃらだった。
いくらでも巻き返しが聞くと、まだ15歳にもならない僕は楽観的に考えていたけれど、そんな甘い世の中じゃないとわかったのは、そう遠くない未来だった。
ひきこもりの問題で高齢化が叫ばれているけれど、まなぶ場がないまま大人になるとますます社会の壁は高くなってしまいます。
社会人の僕はそれを感じます。
人間は堕落したらどこまでも堕落しちゃう。
きついことを避け続けたら、もう障害に立ち向かう気力も勇気もなくなってしまう。
でも、当時の心が傷ついていた僕にそんなお説教はつうじないことは、よくわかっている。
ほんとうにきついのだから。
悪魔と手を結んでも、学校に通いたくなかった。
登校しろとは僕を滅ぼすつもりかー! そんな気持だった
でもそれじゃぁ、未来は手に入れられないんだけど。
どこかで立ち向かう時を覚悟しなくちゃいけない。
そのきっかけがあったから良かったけれど、それがなかったら今ごろ僕はどうなっていたのだろう?
次は不登校になってからの話を書きたいと思います
不登校とひきこもりの時の気持ち 15~17歳(中学生・高校生)
中学校に通わなくていいというだけで、有頂天だった。
すっごく楽(!)で、ホッとしていて、心が晴れ晴れしていた。
その先に来る自分の内面の苦しみなんか全く頭にうかばなかった。
将来についても、まあ何とかなるさ。
いちいちうるさいんだよ、僕はこれが良いんだ
絶対てこでも動かないぞ!
こんな気持だった
15歳や16歳の人間が真剣に未来、将来、夢について向き合うことなんかなかなかないですよね。
僕は特に苦しい重いから逃れたいから不登校を選んだんであって、人生からドロップアウトしたつもりもなかった。
けれども、どんどん外に出るのがおっくうになっていった。
僕の経験では、人間は常に逃避し続けるとますますあらゆることが怖くなります。
不登校の子供を受け入れるフリースクールはとりあえず通っていたけれど、買い物とか何か見にいく、イベントに参加するなんていったことは、心が動かなかった。
やっぱり、自分は自分の心に十字架を背負わせていたということか。
中学校すら満足に通えない後ろめたさ、なにか楽をしているというばつの悪さ、親に申し訳ないということ、同世代の奴らが友人や恋人をたくさん作ってエンジョイしていることを思い浮かべたり、駅前で学生が楽しそうにわいわいがやがややっているのを眼にすることも、非常に気分が悪くなった。
劣等感!! コンプレックス!! 苛立ち!!
それが僕の心のすべてを表現していると思う。
スポーツも勉強に関しても、劣等感を感じる必要はなかったけれど、人間関係というやつだけは、僕は全くのネンネエで、自分でも歯がゆい思いをしていた。
みんなと楽しくやりたいくせに、どうしてもできないから、劣等感は真冬の北海道の降雪のようにどんどんつもっていった。
僕に春なんか来ない。
最初のノビノビとした心に次第に影が忍び寄ってきた。
そんな憂鬱な観念にとらわれるようになり、外に出ることがすっかり怖くなってしまったのだ。
プチ鬱ってやつ
同世代の人間と会うのが特にいやだったし、劣等感故に、女性恐怖症にもかかってしまった。
男子校だったのが災いして、ますます異性と接することから遠ざかった上に、いまはフリースクール通いという体たらく。
何をしているんだ? なんで生きているんだろうか?
みんな楽しそうだ。ちゃんと学校も通っているし、少なくとも社会生活を送っている。
たくさん色々な経験をして、たくましくなっていくんだろうな。
夢もできて、彼女もできて、思春期で経験するあらゆることをむさぼり尽くすように楽しんでいくんだろうな。
心が重く、苦しくなって、頭も物理的にいつも緊張して痛くなってしまった。
精神的なものと頭の重さ、痛さのダブルパンチで、すっかり元気がなくなってしまった僕は、形式的に高校に上がることだけをして、鬱屈した青春を過ごさなければならなかった。
鬱屈した人間の考えることは、鬱屈した考えしかない、と誰かが書いていた。
まさしくその通り。
だからといって、もとのとおり中学校や高校にちゃんと通えば、全部元に戻るかというと、それの方が地獄だった。
逃げ場がないことに気づいた。
親や不登校を端から見ている人は、逃げ場があるから不登校になっていると言うけれど(つまり甘え、ずぼら)、実はそうじゃないと気づいていくものだった。
不登校になっても楽な生活は続かず、心が追いついてこなかった。
でも、登校してもきつすぎる。
どこにも逃げ場なんて無かった。
自分が強くなってたくましくなっていくしか道はなかった・・・・
僕ねこすけの人生のルーツでした