ちょっと衝撃的なタイトルを付けちゃいました。

なぜブログに書こうかと思ったかというと、つい最近、母親と話す機会があって、そのときなんと「自殺」というキーワードが出てきました。



なんでも僕が不登校で神経症で苦しんでいた時のことです。

母親は僕が自殺するのではないかとずっと心配して、心を痛めていたそうです。



こんな危うい昔話を話せる余裕が出たのも、僕が精神的に立ち直ることができたからこそでしょう。

もしまだ神経症で苦しんでいたら、「自殺」という話題も出なかったでしょう。

お互い「自殺」に恐れおののきながら、心配しながらも、その話題を避けていたと思います。



悩んでいたときは、「自殺」を常に考えていました。大げさな表現ではなく、「死にたい」と独り言を言っていたのを思い出しちゃうなー。

落ち込んでいたし、ままならない自分にイライラし、先も見えなかったから、いつか自殺するかもしれないと漠然と考えていました。

希死念慮というものですね。



実際あのまま苦しみ続けていたら、人生に絶望して、より身近な選択肢として「自殺」を考えていたでしょう。

硫化水素の自殺方法は当時知られていなかったので、漠然と飛び降りなんかいいかもと考えていました。

すっごい病的だったんだな、と今ブログを書いていて苦笑してます!



僕のような自殺予備軍はとっても多いと思います。

それが何らかのきっかけで一気に一線を越えてしまうのでしょう。

例えば80年代のアイドルだったという岡田有希子さんの飛び降り自殺で何人も死んだらしいし、

Xジャパンのhideのときも、後追い自殺の可能性をテレビでやっていたと思います。

いじめによる自殺がマスコミで大きく報道されると、絶対後追い自殺が出ます。

自殺にはとても勇気が必要なので、自殺予備軍の人は常に機会を待っているに違いないです!



僕は今死にたいとは思わないし、生きてやる、いっぱいいっぱい感動したいと思っています。

どんなことにもチャレンジして自分をぶつけていきたい気持でいっぱいです。

前向きになっているし、だから母親も昔そう考えていたと言うことを僕に話したんだと思う。



僕も「やっぱり自殺を考えてた」と母親に言いました。

「やっぱり・・・・」母親は言葉に詰まっていました。

そんな深刻などんよりした空気ではなかったですが、文字におこすとこんな感じでした。



家族が自殺してしまうことの恐怖は、とくに親の立場にいる人は持っていると思います。(メンタル的な悩みを持っている子供の親の場合)

母親も僕のことが気が気でなかったのは想像に難くありません。

薬の副作用で突発的に自殺してしまう人もいるとかいないとか。



実は当時、自殺して親を困らせてやろうとおもったこともあります。

逆に自殺して親を哀しませたくないとも考えてました。

これが一番大きかったので、自殺行為に走ることは結局なかったし、だからこそ親の薦めで岩波先生にも出会えて、メンタルの悩みを解決できた。

そんなわけだから、いま希死念慮、自殺願望を持っている人は、もう少し待った方がいいと思う。

死ぬ勇気があれば、生きる勇気をもうちょっと出して待ってみようよ!



人は誰だっていつか死ぬわけですから。