ひきこもり生活って恐ろしいものですね。

精神が腐るなんて言葉は使いたくありませんが、実際そうでした。

腐っていく自分をわかっているんだけど、腐るまま任せてしまう。

じゃあ、それが楽かというと、つらいんですよね



勉強もしないで、何にも責任や義務を負うことなく、漠然と過ごしていると、どんな人間でも、心にもやもやが迫ってきます。

己を律する機会がなくなるって怖いことだと感じました。

不登校でも何でも、自分で己を律することができる人は良いと思います。

好きな道をどんどん突き進めばいいし、世間の目を気にする必要なんてないと思う。

だけど、僕の場合は腐っていく一方でした。



親って、そういうことが経験上よくわかっているから、なんとか腐る前に抜け出させようとする。

だけど、何にもしないのって、消極的な意味で一種楽なんですよね。

楽なんだけど、先がないのもよくわかっている。

心が鬱屈してくるから、これじゃダメだとわかっていても、行動を起こす方が

骨が折れると思ってしまう。

それなら今のままで良いやと感じて生きてました。



学校に通っていれば、何らかの責任感や義務感が課せられる。

それはきついけれど、腐らせないようにするには意義がある。

労働もそうでしたね。



学校生活になじめなければ、他の分野で行動を起こせばいいんだけど、

なかなか見つかりませんでした。

できれば、学校生活以外の価値を自分で見つけられればいいんだけど、

殻に閉じこもっちゃうと、何でも先延ばしにしたくなりました。

武器が何にもない自信のないお兄ちゃん(僕のこと)が一匹いただけでした。



いや~親から見ると、それってすごく恐怖だと思う。

しっかり育てたいし、そうやって教育してきたのに、逆に過干渉になって

子供と心の溝を知らず知らず作ってしまう。

愛が別の形で子供を追いつめて、すべてがすれ違いになる。

腐る前に何とかしようと無理矢理尻をひっぱたいても、子供は反発する。

それでますます、親も不登校中の子供追いつめられていく。



でも、親が子供を何とかしようと尻をひっぱたいても、結局親の意向に沿った分野で

やらせようとするから、ますます子供は反発するんですね。

それなら、いっそのこと、子供の好きにやりたいようにさせるのも道だと思います。

僕は親がその道を最終的に許してくれたから、非常に楽になることができました。

いろんな意味で親子関係っていう呪縛は強いものですね。

愛情での結びつきなら良いけど、呪縛はもう嫌です。



話を元に戻すと不登校になっても自分の進むべき道をわかっているなら問題はないと思います。

ひきこもっていても、それが研究室に引きこもって、研究をこつこつと追い求めるならば、すごく意義深いこと。

そこまで行かなくても何かにチャレンジしていたら、すくなくとも腐らずに済むし。

(心が腐りきったら、もう生きている価値はないに等しいと思います)。



いくらひきこもりを続けていたって、そんな状況は本人だって好ましい状況だと思っていません。

自分がやりたいことを思う存分やらせてもらえれば、不登校中の本人だって、すこしは親の意向に沿わなくちゃと思う。

当人の心を汲まないで、親のエゴだけで、子供をどうにかするのは間違っている!

一歩引く勇気も必要になってくると思います。

一歩引いて、より大きな成果を上げれば最高じゃないですか。

僕の親が余裕を見せてくれて、その姿勢に変化してくれたからすごく助かった部分がありました。

そうしたら、すごく親に感謝する気持ちが芽生えてきました。

親も心配しているから立ち直ろうという前向きな気持も出てきました。

プログラムを通しての変化もありますし、親子関係の見直しも重要でした。



中には親のエゴで子供無視という事件があります。

それが一番出たのが、足立区梅田で起こった父親による家族への殺人(無理心中)だと思う。

子供を親の所有物だと思っている。

まったく子供の意向を汲んでいない。

ひどい事件だと思います。