久々の更新となりました。
「人はどう生きるべきか」「人生にとって大事なことは何か」「何のために生まれてきたのか」
その意義を習ったことは大きかったと思います。(不登校/ひきこもり克服プログラム)
生きる上で一番大切なことって、自分の生きている意義を悟ることだと思いました。
親は近視眼的に学校に通う、通わないという範囲でしか子供のことを見られませんでした(それもしょうがないことなんだけど)。
その視点が僕を追いつめ、また世の中の不登校児は余計学校に通いたくなくなるんです!
学校に行きさえすれば、世の中から後れをとらないぐらいしか思っていないし、他力本願ってものじゃないかな。
親が生き様、どう生きるべきかを教えてくれないで、むりやり自分の枠にはめて育てたから、僕は不登校にもなったし、ひきこもりにもなったし、神経症にもなったんです。
だからといって、親に憎しみとか恨みはもうありません。
あるとすれば、もうちょっとマシな育て方ぐらいは出来ただろうっていうとこぐらいですかね。
でも、親だけに責任転嫁するのもいけないですよね。
自分自身にもやっぱり問題はありました。
今は普通に親と接していますし、それに先生のところにつれて来てくれたのは親なんだから、結果オーライという感じです。
もし先生に会っていないと、「どう生きるべきか」を知らないまま平凡に暮らしていたか、心の悩みに押しつぶされていたに違いないです。
これを知ることは無かったんじゃないかな。
親はそういうことを教えたりしないし、学校の先生にしてもそこまで踏み込んでくれはしません。
昔、日本がどんどん伸びていった時代の教師は違っていたらしいですが、今はサラリーマンみたいになってしまったますね。
個性的な先生が排除されてしまう時代です。
遅れてしまったけれど、「どう生きるべきか」の僕なりの答えは、全力で生ききるってことです。
何でもチャレンジしてぶつかっていく、それが命を燃やすことができるし、充実した産まれてきて良かったんじゃないかと思える生き様だと思っています。
話を戻すと、僕が悩んでしまったのは僕本人の認知の歪みがあったのと、親の視野の狭い考え方という歪みが合わさったからでした。要するに、どうしても悩んでしまう考え方、ものごとのとらえ方しかできなかったんですね。
しっかりとした人生のラインを自分で引くことができず、導かれることもなく、周りの状況に振り回されて、ボロボロになってしまいました。
ひどくもろい精神構造をしてました。
コイが水面上にジャンプしただけで、怯えるくらいと言えば、どれだけ繊細で敏感でもろかったかわかるたとえだと思います。
それが岩波先生とカウンセリングを重ねるに従って、いかに非効率的な育てられ方をしてしまったのか
それをそのまま僕は受け取って、歪んだ考えのまま生きてしまったのか気づきました。直接先生が言ったわけじゃなく、そう僕が気づいたんです。
それは先生の深い考えがあって、そういうふうに気づくようにカウンセリングをしてくれたのかわかりません(そうだと胸を張って言えるんですが、先生から直接聞いた訳じゃないんで)
歪んだままの思考で生きるとどんなに不都合だったか、これからどれだけ惨めな思いをしてしまうのか悟ったとき、モチベーションが沸き立ちました。
プログラムで経験するトランス状態という意識が変容した状態のおかげもあると思いますが、ものすごくやる気に満ちあふれました。
無意識からの問題解決ができるプログラムなので、自分の思考の手が届かないところで自分を見つめ直すことができましたし、人生の意義というのも「感情レベル」で悟ることができました。
これは頭で作り上げたものじゃないので、しっかりと無意識に定着しやすかったです。
自信もついてきました。頭の表面でそれを「知って」も意味がない! 心から悟らないと駄目でした!
逆に言えば、悟ったり気づいた時の精神的な刺激が高く、感情が伴って感動できるほどだと、一気に症状も好転していくものだと思いました。
プログラムを進めるに連れて、親はもうノータッチでした。
先生に任せて、あとは僕の自主性にも来たいといったところでした。
最初は通いたくなかったのが正直でした(勝手に親が決めたわけで)
でも、人生って何があるかわからないですね。良い出会いもあります。
心の障害となっているものだけじゃなくて、このブログで良く書いているようにコミュニケーション術(会話の格闘術)について知ることができたことも大きかったです。
「人はどう生きるべきか」「人生にとって大事なことは何か」「何のために生まれてきたのか」
その意義を習ったことは大きかったと思います。(不登校/ひきこもり克服プログラム)
生きる上で一番大切なことって、自分の生きている意義を悟ることだと思いました。
親は近視眼的に学校に通う、通わないという範囲でしか子供のことを見られませんでした(それもしょうがないことなんだけど)。
その視点が僕を追いつめ、また世の中の不登校児は余計学校に通いたくなくなるんです!
学校に行きさえすれば、世の中から後れをとらないぐらいしか思っていないし、他力本願ってものじゃないかな。
親が生き様、どう生きるべきかを教えてくれないで、むりやり自分の枠にはめて育てたから、僕は不登校にもなったし、ひきこもりにもなったし、神経症にもなったんです。
だからといって、親に憎しみとか恨みはもうありません。
あるとすれば、もうちょっとマシな育て方ぐらいは出来ただろうっていうとこぐらいですかね。
でも、親だけに責任転嫁するのもいけないですよね。
自分自身にもやっぱり問題はありました。
今は普通に親と接していますし、それに先生のところにつれて来てくれたのは親なんだから、結果オーライという感じです。
もし先生に会っていないと、「どう生きるべきか」を知らないまま平凡に暮らしていたか、心の悩みに押しつぶされていたに違いないです。
これを知ることは無かったんじゃないかな。
親はそういうことを教えたりしないし、学校の先生にしてもそこまで踏み込んでくれはしません。
昔、日本がどんどん伸びていった時代の教師は違っていたらしいですが、今はサラリーマンみたいになってしまったますね。
個性的な先生が排除されてしまう時代です。
遅れてしまったけれど、「どう生きるべきか」の僕なりの答えは、全力で生ききるってことです。
何でもチャレンジしてぶつかっていく、それが命を燃やすことができるし、充実した産まれてきて良かったんじゃないかと思える生き様だと思っています。
話を戻すと、僕が悩んでしまったのは僕本人の認知の歪みがあったのと、親の視野の狭い考え方という歪みが合わさったからでした。要するに、どうしても悩んでしまう考え方、ものごとのとらえ方しかできなかったんですね。
しっかりとした人生のラインを自分で引くことができず、導かれることもなく、周りの状況に振り回されて、ボロボロになってしまいました。
ひどくもろい精神構造をしてました。
コイが水面上にジャンプしただけで、怯えるくらいと言えば、どれだけ繊細で敏感でもろかったかわかるたとえだと思います。
それが岩波先生とカウンセリングを重ねるに従って、いかに非効率的な育てられ方をしてしまったのか
それをそのまま僕は受け取って、歪んだ考えのまま生きてしまったのか気づきました。直接先生が言ったわけじゃなく、そう僕が気づいたんです。
それは先生の深い考えがあって、そういうふうに気づくようにカウンセリングをしてくれたのかわかりません(そうだと胸を張って言えるんですが、先生から直接聞いた訳じゃないんで)
歪んだままの思考で生きるとどんなに不都合だったか、これからどれだけ惨めな思いをしてしまうのか悟ったとき、モチベーションが沸き立ちました。
プログラムで経験するトランス状態という意識が変容した状態のおかげもあると思いますが、ものすごくやる気に満ちあふれました。
無意識からの問題解決ができるプログラムなので、自分の思考の手が届かないところで自分を見つめ直すことができましたし、人生の意義というのも「感情レベル」で悟ることができました。
これは頭で作り上げたものじゃないので、しっかりと無意識に定着しやすかったです。
自信もついてきました。頭の表面でそれを「知って」も意味がない! 心から悟らないと駄目でした!
逆に言えば、悟ったり気づいた時の精神的な刺激が高く、感情が伴って感動できるほどだと、一気に症状も好転していくものだと思いました。
プログラムを進めるに連れて、親はもうノータッチでした。
先生に任せて、あとは僕の自主性にも来たいといったところでした。
最初は通いたくなかったのが正直でした(勝手に親が決めたわけで)
でも、人生って何があるかわからないですね。良い出会いもあります。
心の障害となっているものだけじゃなくて、このブログで良く書いているようにコミュニケーション術(会話の格闘術)について知ることができたことも大きかったです。